数学、正しく理解出来ていますか?【循環論法の罠】

雑学

今回の話題は数学に限った話ではないのですが、数学関連の記事を出すにあたり、気になったところなので、こういうタイトルにしています。

循環論法とは

「ある命題の証明において、その命題を仮定した議論を用いること」(WikiPedia)とあります。数学の例で言うと、①三角形の内角の和が180度なのを証明するにあたり、平行線の錯角が等しい特徴を利用したのだが、その②平行線の錯角が等しい特徴は三角形の和が180度の性質を利用して証明(理解)していた場合。性質を証明するために巡り巡って、自身の性質を利用しているのだから、証明になっていませんよね。

数学の例のポイント

この例えでは①から②が導けるのは正しく、②から①が導けるのも正しい。ただ、そもそも①及び②の事象が正しいのかを誤りなく論理の積み重ねが出来た事象だけで説明出来ていない事が問題なのです。

読み手の知識量で循環論法が変わる場合あり

今回のケースはそのケースで、例えば②の事象が読み手が理解済である事象(例えば、平行線公準)から既に導いていたら、循環論法になっておらず、正しい理解と言えます。余裕があれば平行線公準から①の事象が直接導けるか考察したいところですね。

数学の定理、ちゃんと理解出来ていますか?

数学の定理は既知の定理の積み重ねにより、証明していくものですが、どこかひとつの定理を正しく理解しておらず循環論法になっていませんか?中学、高校数学だと定理を不適切に定義であるとして理解していまい、よくよく考えると定理の積み重ねになっていなかったり、循環論法になっていたり陥りがちです。

特にググって調べた事柄であれば、自分の理解済な領域から枝を伸ばして、繋がっているか、自分の理解している内容で説明出来るか、意識する事が大切だと思います。

関連リンク